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ヨーロッパの最高峰・モンブラン

◆◆モンブラン麓の町・シャモニ◆◆

▲山に囲まれた町

▼山を指差す銅像
▲町中央には観光馬車

4000m級の山々に囲まれ、その谷間にあるシャモニの町はヨーロッパ最高峰のモンブランの北側にあるリゾート地である。
1786年8月、それまではただの山間の小さな町「シャモニ」が突然ヨーロッパ注目をあびることになった。シャモニの猟師ジャック・パルマと医師のミッシェル・パーカルの二人が「モンブラン登頂」に成功したのだ。以来静かだった村はアルピニストやスキーヤーで1年中賑わう町となった。
モンブランは、イタリアとフランスの国境にまたがるようにそびえたっている。ジャックやミッシェルの時代には「魔の山」として恐れられていたが、今では誰もがロープウェイに乗ってすぐそばまで行ける。その入り口がシャモニである。
**写真上の「モンブランを指差す銅像」の二人がジャックとミッシェルである。
▲ロープウェイから見下ろした町の景色

◆◆世界で最も高いロープウェイ◆◆

モンブランへの入り口「シャモニ・モンブラン駅」から世界一高いロープウェイに乗る。
「シャモニ・モンブラン駅」にはいつも多くの人があつまる。ここから世界一高いロープウェイで第一区間のプラン・ドゥ・エギュイ(標高1030m)まで約8分、そこから乗り換えて第二区間のエギュ・ドゥ・ミディ(標高3842m)まで約8分、合計20分もかからずにあっという間に展望台まで行くことが出きる。
1時間に約680人の乗客を運ぶことができ、最高時速38km、最大勾配90%のこのロープウェイは高所恐怖症の方には少し辛いかもしれない。
▲駅に近付大型のロープウェイ(50人乗り)

▲ロープウェイから見た第二区間

 度肝を抜くロープウェイ建設の歴史


今では誰もが簡単に利用できるロープウェイだが、最初の案は今世紀始めにさかのぼる。第一計画は第一次世界大戦で中止され未完成になってしまったが、その後、イタリア人技師ディノ・ローラ・トティノ伯爵がこの計画に乗り出した。彼の案こそ「シャモニとエギュイ・ドゥ・ミディまで2区間のみで結ぶ」という度肝を抜く建設案であった。
当時はこの案は狂気じみていて誰も現実となるとは信じてはいなかった。


この建設案を実現させるために、まず人の力によりケーブルを背負い山頂まで引き上げる作業がはじまった。直径14mm、長さ1700mのケーブルを30人の山男達が背負い、互いの体をロープで縛り付けて2日間をかけて作業に従事した。男達は各30kgのケーブルを背負ったのだ。
下りも生易しいものではなかった。石や氷が絶え間なく落下する中を北の岩壁に沿って下らなければならなかった。100kmを超える風と暴風雪の中、この山と人との格闘は8時間半にも及びようやく終わった。その間2人が死亡したそうである。
この基礎作業により1954年に第一区間が完成、翌年第二区間の運転が開始された。

◆◆いよいよ展望台へ!!◆◆
▲展望台付近の見取り図
上の見取り図でわかるように、シャモニからの最終駅エギュイ・ドゥ・ミディ駅(フランス側)に到着したらすぐに建物の中にはいる。モンブランが綺麗に見渡すことが出きるテラス(展望台)はいくつかあるが、一番高い頂上テラスへ行くには橋を渡り北峰側に渡りエレベーターに乗って行く。私達が訪れた時はエレベーター調整中のため他のテラスからモンブランを見ることとなった。
▲イタリア側の景色
橋を渡ってエレベーターと反対方向(左側)に行くとイタリア側の美しい景色も見渡せる。標高が高いので息苦しく感じたり具合が悪くなったりする場合もあるが、元気の良い方はフランス側と反対の景色も是非カメラに納めたい所である。

▲橋から見たフランス側の建物

▲橋から見た頂上展望台

◆◆これがモンブランだぁ〜・絶景!!◆◆

▲階段を上がるとテラスへ


▲「テラス」のサイン
フランス側の建物の中の階段には「テラス」のサインがあるので、そのサインの方向へ進むと「シャモニテラス」へ出る。ここの標高は富士山よりも高いので息苦しくなったりするので、ゆっくりと歩いて進む。外は夏場でもセーターがいるので寒くない様にしっかりと身支度をしていきたい。
▲フランス側の「シャモニテラス」からは絶景のモンブランが見える
▲シャモニテラスから撮ったモンブラン
「モンブラン」とはフランス語で「白い山」。私が訪れた日はまれに見る快晴でその真っ白いお饅頭のような形をしたモンブランははっきりと綺麗に見えた!!山のお天気は変りやすいもの、いつもこのような景色が見られるとは限らないが・・自称「晴れ女」の私はここでモンブランが見えなかったことは今まで一度もない。

文・写真:吉田 新子   ご感想などおよせください。 ShinkoY@aol.com

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